東山道と園原

 

 今から約1300年前…

 7世紀、大和朝廷は地方を支配するためため、都と地方を結ぶ大きな道を7つ作りました。山陰道・山陽道・西海道・南海道・北陸道・東海道、そして東山道です。

 

 この東山道は大和政権が東国を従属させるための「支配・軍事の道」、東国の税物を背負って都へ納めに歩いた「納税の道」、東国の若者を九州北辺の防備に徴用した「防人(さきもり)の道」、更には馬の産地で知られる信濃国で生産された馬を都に運ぶ「貢馬(くめ)の道」として利用されてきました。

 

 そして、近江国(今の滋賀県)の勢多から陸奥国の多賀城まで伸びる約1000キロ以上ある「東山道」の中で、最大の難所が「神坂峠(みさかとうげ)」です。

 標高1576m。美濃国、信濃国は山高く谷深く険しい道が多く、中でも天下の険「神坂峠」は気候の変化が激しく、濃霧がかかりやすく、雷鳴が近いところです。通行困難ではあるが、ここさえ越えればあと何日と、旅の予定が立てられる道として、同じ東国の道、東海道より賑わったといわれています。