帚木 はゝき木 ははきぎ

▶︎帚木(ははきぎ)とは、園原にあるヒノキの名木です。草帚(コキア)の形をした巨木が、遠くからは良く見えるけれど、近づくとどこにあるのか分からなくなるという「不思議な木」とされ、「人の心のうつろいや迷い、不確かなもの」の例えに使われました。

 

▶︎帚は「葉を掃く木」と言われ、「葉掃き(ははき)」と読み、それに形が似た木だったので「帚木(ははきぎ)」と呼ばれました。根元の太さは周囲6m、高さ22m余りでした。

 

▶︎帚木(ははきぎ)が初めて文字として登場するのは三十六歌仙の坂上是則(さかのうえのこれのり)の和歌です。

 およそ100年後にこの歌を使い光源氏と空蝉が恋歌を交わす、源氏物語第二帖「帚木」の巻が紫式部によって書かれました。

 

▶︎伝説では、園原の炭焼喜籐治の元へ神のお告げで嫁いで来た京の在原の息女客女姫が夕方の空を眺めて母を恋しく思っていると、母の手招く姿が見えたので思わず駆け寄ろうとしたら、それは「帚木」が風に揺れていたと言われています。それから「母木木(ははきぎ)」と言われる様になりました。

 

▶︎この帚木も大正時代に片方が折れ、残りの支幹も昭和33年9月の台風で倒れてしまい、数mの枯死した根本周りを残すのみとなっています。